江戸時代の1787年に美作国久世(現真庭市)の代官となり、庶民の生活改善・地域産業の振興、教育にも尽力した。1791年に教諭所(5年後典学館に名称変更)設立し教育の振興、1799年に農民の心得として「久世条教」を出版した。幕府から褒賞をもらうなど功績も多く、代官在任は14年間になり領民から4度の留任願いが出たほど民衆に慕われた。その後は武蔵国久喜(現久喜市)に転任し、荒川や利根川の治水事業を行った。
現在では久世の特産品である新高梨の上級品には「代官梨」と名付けられ、ブランド梨として売られています。